いづもおおやしろ むらさきの きょうかい

出雲大社紫野教会


   
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 神道に教えはないのか

 神道に教えというものはないのか、と聞かれることがあります。これについて、東京の神田神社の大鳥居信史宮司はこのように言われています。

 神道には教義や教典、教祖が無いので、教えが一切無い信仰だと誤解している人が大勢おります。
仏教やキリスト教のように煩雑な教えこそありませんが、人としての生き方を教えてくれる言葉が「古事記」や「日本書紀」「万葉集」はじめ、多くの古典に記されています。
とりわけ日本人が愛する古典のひとつに「徒然草」があります。
(週刊神社紀行 第22号 学習研究社)

 このあと徒然草の中の話をされるわけですが、これは非常に卓見であると思います。神典である「古事記」「日本書紀」をはじめとして、「万葉集」「古今和歌集」のような歌集、「徒然草」のような随筆、そして「竹取物語」や「源氏物語」のような物語など、古典を読むと確かに日本人が昔から持っていた思想、倫理観や道徳というのがよくわかります。

 しかし、体系的なものにはなりませんでした。理由はいろいろあります。古代は文字がなかった時代も長く、さらに皆が自明のことでしたから神道の思想を言葉でまとめる必要もありませんでした。ここで中国思想が入ってきます。論理的な言葉を持つ仏教と儒教に圧倒された日本人はそれらを受容します。しかし、神祇の道はやめることなく継続します。
 仏教は除災招福の理屈にも長け、また死後の世界についての形式も担当することになりました。儒教は全面的に受容はしませんでしたが、日本人の気に入るところだけその言葉を借りました。神道はただ、現世の除災招福に限定された存在として残ることになりました。この神儒仏一体体制が長らく続いた結果、神道はその教え、思想を体系的にまとめる必要が無かったのです。

 しかし、混沌とする世の中が続く今の日本で、今後はそういうわけには行きません。教えをしっかり定め、それを広めて、日本人の道徳、そして人々の生きる指針としていなかければならない、そう思っています。

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<紫野教会長が書いた本です>